ドッペルゲンガーを体験したのかもしれない
インストラクターという仕事柄 初対面でもよく声をかけられる
仕事場以外の街角などで声をかけられた場合
時には
・・・誰だっけ と思いながら会話を合わせてしまうこともある
再登場か!ドッペルゲンガー
先日もそうだった バス停で声をかけられた
いつもはマイカーでの移動が多く バスや電車を利用することは滅多にないのだけど 飲み会の約束があって 久々のバスだった
「先生 お久しぶりです 何年ぶりでしょうか あのクラブではもうレッスンされないんですか?」
30代後半くらいのその男性の口調はとても親しげで
過去に私のレッスンを受けてくれた人には違いないけど
どこのクラブで会った人なのか
見覚えはあるけど名前が出てこない
自分のダンス教室を主宰するようになってから
フリーレッスンの仕事は代行を頼まれた時以外にはやっていないし それも最近ではないから
もう何年も前に出会った人なのだろう
「お元気そうで! お久しぶりですっ!」
職業病にしても 大きな声でムダに明るく喋ってしまう自分が キライ
バスに揺られる間 彼の近況をたっぷりと聞かされて
・・・聞き上手やん 私 と ちょっと自分を労った
15分ほどで終点の駅前に着いて 別れ際の彼の言葉が
バスを降りてからも 引っかかっていた
「何度かお見掛けしてたんですよ 先月も駅前のツタヤでCD見てたでしょ?」
ツタヤ? 昔はよく行ったけど 先月なんて 行っていない!
仕事で使う音源は iTunes でダウンロードするようになってから
CDを買った記憶も遠い
また出たのかっ! 私のドッペルゲンガー
奇妙過ぎたあの日々のことが蘇る、、、
電気店で
愛犬と散歩ついでに 電気店へ寄って
門灯用の小さな電球を買おうと
千円札を1枚 ポケットに入れた
切れたままの電球が ずっと気になっていた
門灯用の特殊な電球は スーパーには置いてなくて
確か 電気店があったはず
車から見た覚えがあった
記憶を辿りながら 北方向へ歩いて行くと
次のバス停近くに 小さな電気店を見つけた
リードを 歩道の街路樹の柵にくくって
初めて入るその店の ガラス扉を押し開けた
切れた電球をポケットから出して見せると
店主の男性は商品棚のところを ガサガサと手で掻き分けて
微妙にサイズの違う商品たちの中から
同種の電球を 探し出してくれた
それを 奥さんらしい女性が受け取り レジを打つ
つり銭を手渡されながら
女性の問い掛けに 私は当惑してしまった
「ワンちゃんは 元気?」
「えっ?」
「ワンちゃんが噛むからって
よくイヤフォン買いに 来てくれていたでしょ」
「いえ・・・私じゃないです・・・」 暫く固まってしまった
「いやぁ よくイヤフォン噛まれていたでしょ」
覚えているわよ~と言いたげに 満面の笑み
「ほら あのワンちゃん」
歩道で待たせている愛犬は
近くのブリーダーさんで
引き取り手なく残っていた成犬の1頭を
貰い受けたハスキー犬
その私にそっくりな人も
ハスキー犬を飼っているのか!?
うちの犬はイヤフォンを噛んだことなど 1度も無い
いくら否定しても
その笑顔は あまりに自信たっぷりで
・・・もしかして 私 イヤフォン買いに来たっけ?
思わず 記憶を辿ってしまった
いやいやいや 無い! 初めて来た店だし!
「あらぁ ごめんなさい・・・じゃ人違い? としたらソックリ」
「そんなにソックリなんですか?」
「もうまるで同じ! 年格好も雰囲気も 髪型も」
「その人が来られた時 会いたいって伝言 お願いしてもいいですか?」
名前と連絡先を伝えて 電気店から帰宅した
ドッペルゲンガー実話伝承
帰宅後すぐに ネットで調べたてみた
“ドッペルゲンガー”
ドイツ語で 自分そっくりの分身のこと
ネット検索しながら
精神医学用語として紹介されているその文面に釘付けになった
ドイツでの通説によると ドッペルゲンガーを見た者は
数日のうちに必ず死ぬといわれているらしい
そして中国や日本の古い文献にも 実話伝承として
いずれもやはり
分身を見たあと 訳の分からない病に臥して死んでしまったという
歴史上の人物の ドッペルゲンガーの記述も残っていた
アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーン
帝政ロシアのエカテリーナ2世
古代の哲学者ピタゴラス
日本の芥川龍之介 など
19世紀のフランス人教師 エミリー・サジェは
第三者からも多数目撃されたというドッペルゲンガーの実例として 有名らしい
キッカイ奇奇怪怪 ドッペルゲンガー
(参照)
会いに行こう
実は 電気店の数日前にも 近くの鶏肉店で 同じように
自信たっぷりに 間違えられていて
自分とソックリな人がいるという衝撃は確信に変わった
その鶏肉店は 初めて行ったのではなかったけど
いつも買い物はスーパーで済ませてしまうので滅多に行くことはなく
久しぶりに足を運んだのだった
「きょうは実家 帰って来たの?」
質問の意味がわからなくて
聞けば その店主の知り合いの娘さんと間違えたという
今は結婚して離れたけれど
小さい頃からよく知っていて 親しい間柄なのだと
そんな親しい人が 間違うほどに似ているのか!
電気店で間違われた人と
鶏肉店の知り合いの人は きっと同じ人物に違いない
ハスキー犬まで同じって どういうことなのか
会ってみたい!
ソファに横になり 天井をぼんやり見上げながら
以前 占いオタクの友人に言われた言葉を 思い出していた
「占い事では予測しようのない 稀な星の元に生まれていて
波乱万丈の人生を送る」
いまのところ たいして波乱万丈でもないし
予測しようのない占いなんて 笑って聞くしかないけど
例えば誰でも 1度くらい考えたことないだろうか
“別の生き方があったのでは” と
しょっちゅう 自己嫌悪に陥る私は
自分に正直に生きているのかどうかさえ ワカラナイ
人生の岐路に立ち 選択を余儀なくされた時
もうひとりの自分が 別の道を選んで
歩いて行っていたとしたら
ドッペルゲンガー?
世界中の精神科医にわからないことが
私にわかる筈も無い
会いに行ってみよう! と心に決めて
後日 東1丁目あたりから 住宅街を隈なく歩いた
目印は ハスキー犬のいる家
愛犬は家に残して ひとりで出掛けた
相手のハスキー犬が うちの愛犬の
もし ドッペルゲンガーだとしたら
出会うと死んでしまう?! かもしれないから
歩いて探索 2日目に
見つけた! ガレージに ハスキー犬
ドッペルゲンガーを訪ねた
探し当てたハスキー犬のいる家の前
車道を挟んで しばらく立ちすくんだ
人の気配の無い家に向かって ゆっくりと近づいた
高さ1mほどのガレージフェンスの中
犬は 眠っている
目を覚ましたら 犬は私にどう反応するだろう
似ているとしても 飼い主を見間違うことはないだろう
それとも あれ?とは思いながらも近づいて来てくれるだろうか?
ドキドキしながら 声を掛けてみた
「コンニチワ」
微動だにしない犬に もう一度
「コンニチワ!」
・・・
犬 爆睡 汗
ピンポンして家の人を呼び出すことも 一瞬考えたけど
その理由を うまく説明する自信がない
不思議なことに その辺一帯 近所の人さえ姿も無く
ひっそりとしていた
検証ならず 諦めてその日は帰宅
翌週 訪ねた家に
ハスキー犬は 何故か もう居なかった
それから日を空けて2度 訪ねた時も居なかった
家の人の気配も 無い
ピンポンする勇気は やはり無い
近所を行き交う人の姿も無い
どういう訳なのか
この次元に来たことを 拒否されているのか
偶然なのか
結局 家の人にも犬にも 近所の人にも 私の姿は見られることなく
検証は 果たせないまま心残りとなったけど
それを許さない 何かの力が働いているのだとしたら
抗うのは もうやめにしたほうがいいのか
その後も何度か 身に覚えのないことを言われた
「なんか怖い顔して運転してたね」 とか
・・・そこ行っていないし
見知らぬ人から 親し気な笑みを送られたり
・・・誰ですか?
やはり居るのか! ドッペルゲンガー
確かめたい気持ちは 拭えない
相手からみれば ドッペルゲンガーは私だ
どちらが優位とかじゃなく
見えない引力のようなもので
危ういバランスを保っているのかもしれない
ドッペルゲンガーを自覚して生きる
その翌年
12歳で死んだ愛犬は
大型犬としての 寿命だったといえる
(愛犬をイメージして作った陶板)
これを書き上げる前に 何年振りかで
もう一度 あの家の前まで 行ってみた
やはり犬の姿はなく
あの日と同じように 近所に人影もなく
ひっそりとしていた
1度だけ 寝姿を見ることができたあの犬も
もう死んでしまっただろう
(散歩途中に出会った猫さん)
性格や生き方は 顔に出るっていうから
たとえ ドッペルゲンガーではないにしろ
自分に似た人に会うのって
想像するだけで ドキドキする
とりあえず今は
運転中には
怖い顔にならないように気を付け
笑顔を送られた時には
笑顔で返すように 心掛けている
もし居るなら ドッペルゲンガーさんも
同じくらいの気遣いを していてくれたら有難い
「いつもニコニコしていて悩み無さそう」と
言われる自分が 時々 イヤにもなるのだけど
ドッペルゲンガーさんへの義理立て?もあり
これからも
愛想笑いに精進し続ける
ご訪問ありがとうございました
感謝☆